【不完全燃焼の中学受験】
私は中学受験が終了して間も無くGLS予備校東京校に入塾しました。中学受験ではそれなりに頑張りましたが、目立った成果はあげられませんでした。 その理由を後から考えてみたら、実は心の底から入りたいと思う学校が見つからなかったからでした。 とりあえずの第一志望校には受からず、合格した中堅の「自称」進学校へ通うことになりました。
【入塾の頃】
GLSでは中学入学前から英語や数学など先取りを始めました。驚いたのは国語の指導でした。中学受験の語彙テキスト中級から始めたのでした。 それまでにも家族から「私の日本語の感覚がおかしい」「外国人のように日本語を覚えないといけない人だ」と指摘されていたのですが、原田先生に見抜かれたのだと思います。 私は計算テストなどは御三家レベルの人と肩を並べてランキング入りしてきましたが、問題を解くとなると設問の意味がわからず解けないということが起きていました。国語力不足が足を引っ張っていたのは感じていました。
【驚異の国語指導】
その後は単語だけでなく用語の概念など国語力の基礎となるツールを身につけ、国語の読解へと入って行きました。 その学習はとても系統立っており、マニュアル思考の私にとってルールがわかれば国語は苦手科目ではなくなってきました。 「幼少期から読書を沢山していれば国語力がつく」という今更取り返しのつかないことを言われたりしますが、国語にも身につけるべき要素と習得のステップがあるのだと感心しました。 東京では中高一貫校向け大手塾の中学部には国語コースがないので、大抵の中学生は国語に関して漫然と過ごすことになります。GLSのお陰で国語に関しても中学時代を有効に過ごすことができました。
【学校の活用】
そもそも自分は自然に国語力や文章力が身につけられるタイプではなかったので、学校の課題の作文・社会科研究などを意識して丁寧に取り組みました。 通っていた中高はどちらかというと文系寄りのカリキュラムだったのでその機会は多く、レベルも高いものが求められたのは幸いでした。私立医の小論文対策も意識していました。
【高1までの快進撃】
中学の途中からGLS予備校東京校が閉校しネット授業に切り替わりましたが、英語・数学の先取り学習も順調に進みました。 自分では自覚が無かったのですが、超トップ進学校にも負けない進度だったそうです。実際高1で受けた駿台高2模試では、総合偏差値60台後半が取れました。 一学年上の駿台模試でこの成績を出せたことで少し自信がつきました。ここではっきりと理三受験を意識しました。
【志望校を理三に設定】
私の一族は医師が多く医学部へ行くのが当然と思われるような環境です。ですので自分の意思はともかく医学部に行かざるを得ませんでした。 その一方で私は時々接する東大生や東大卒の方々の隙のない優秀さを尊敬し、最近では学生のうちにIT起業するようなクリエイティブな姿に憧れたりしていたので、東大に行きたいとも感じていました。 その二つを両立できるのが東大理三ということで至極単純な目標設定でした。
【東大一直線の高2】
高2からは各予備校の東大模試を受けたりと、本格的に東大を意識した対策を始めました。東大対策は世間でも研究され尽くされて情報も多いです。 先生に提示された課題の根拠をいろんな情報と照らし合わせて、自分でもその目的を理解しながら取り組んでいきました。
【試行錯誤の高3】
高3の東大模試は、恥ずかしい事に一年前と殆ど変わらない結果が返ってきました。この一年の努力は何だったのかと情けなくなりました。 勿論学習の精度等にも問題はあったと思いますが、まだ本気モードでなかった一年前と違い、高3では全力で模試に取り組んだら長時間にわたる4教科記述試験の後半まで集中力が持たないことがわかりました。 東大は猛烈な処理型の出題なのですが、原田先生曰く「頭の体力が足りない」という判断となり、問題との相性も考慮して志望校を京医に変えました。
その後は京医対策に励みました。東大タイプの対策をしていたお陰で、注意点は異なりますが京大タイプへのシフトはそう苦労はありませんでした。 その後防医の一次試験も通過し、少し自信がつきました。 防医の二次試験では自分史上最高に怖いおじさん面接官と対峙することになり、その後に始まるであろう私大医の面接への心構えができました。 また、全国から選抜された優秀な受験生の姿も刺激になりました。
【受験期の不調の原因が解明され合格へ】
新年が明け、受験シーズンに突入。センターでは1年前のセンター同日模試の得点を100点近く下回る情けない結果となりました。 この時点で京医は諦め、二次逆転の可能性がある京都府立医大に出願しました。 その後に続く私大医前期も次々と一次敗退となり、自分も家族もどうしてこんな結果が続くのかわからず動揺し始めました。 そんな中、ある日のネット授業で原田先生が原因を分析してくださいました。
その指摘は「本当は医学部へ行きたくないのでは?」でした。
自分の心の中でモヤモヤしていた気持ちを先生が明らかにしてくださったのです。 今更進路変更はできませんが、本心を自覚できたと共に、それでも医学部を受験する自分の葛藤を第三者(原田先生)に指摘してもらうことで家族に理解してもらえました。 すると心が落ち着きました。その後私大医の後期の一次も次々通過し、京都府立医大にも合格しました。
【受験を振り返って】
中学受験と同じく大学受験でも目標設定のいい加減さで失敗するところでした。自分の本心と向き合うことの大切さが身に沁みました。
理三を志望校にしたことも無駄ではなかったと思います。その後の京医対策含め、日本の二大巨塔の問題を本気で取り組んだことで、大学受験界の出題傾向の全体像が見渡せるようになりました。 そのことも京都府立医大での二次逆転合格につながったのだと思います。
GLS予備校の指導の素晴らしさは他の方の体験談でも述べてある通りで、私が付け加えるまでもありません。私のGLS生活の様子に限って記してみました。 原田先生には中高6年間ずっと伴走してもらいました。親よりも頼りにしていました。本当にありがとうございました。