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合格体験記 筑波大学人間学群障害科学類 Y君(川越東高校)

T 現役時代を振り返って

 現役時代、大好きな数学と野菜作りを楽しむ俺は私文コースに属していながら国立を志望するという無茶をやっていた。 周囲の人々は冷ややかであり、クラスメイトはおろか担任にも厄介がられる始末であったが、当の本人といえば少しも気に留めず、至って幸せな日々を送っていた。

 ところが、夏ごろから学習面において少々悩みを持つようになりはじめた。 独学でやっている理系科目が全く伸びないのだ。 困り果てた俺は教師に質問しに行ったが、返答はこうである。

 「国立コースじゃないから教えられない」

 酷い話もあったものである。 こんなことが続くので、すっかりヘソを曲げた俺は学習意欲を失い、ろくに勉強をせずに受験を迎え、全落ちを決めた。

 春先はいじけてぬいぐるみと遊んでばかりいた。 どうにもどうしようもなさが尋常ではない状態ではあったが、一年後の今は、ぬいぐるみと遊びつつこの体験記を書いているのだから面白いものだ。 ここから、この一年間で「何をして」「どう変わったのか」ざっと書いていこうと思う。


U この一年間で何をしてどう変わったのか

 まず前年との大きな変更点として、日本史から地理への選択科目変更が挙げられる。 筑波の論述は400字で指定された事象を説明するもので、地理の方が他科目より書きやすいからという理由であった。 センター日本史で20点台をたたき出していたこともある日本史が大嫌いだった俺は、割とすんなり変更を決意した。

 原田先生の授業は単純なQAではなく、「なぜそうなる、そうなったのか」「そしてどうなる、どうなったのか」という流れでの理解を求めるもので、最初は相当苦労した覚えがある。 夏まではこれらの変化への対応と期待に常に突き動かされていた。


 期待が現実になり始めたのは夏の半ば、二回目の模試あたりからだった。 英語と地理に数字上では見えないが確実な向上の手ごたえがあった。 反面、数学には伸びが見えなかったし、伸びたという実感もあまりなかった。

 だが昨年度とは違い、今は相談相手がいる。 先生に相談し、一緒に考えた。

 結論は、「お前の数学はもう中学レベルで死んでいる」という、北斗神拳正統伝承者のごとき死亡宣告であった。

 およそ一般的な教員ならば私立専願への切り替えを勧めるようなほどに基礎から崩壊していたわけである。 さすがの俺もちょっと心が折れそうであったが、先生は諦めることなく国立を目指すよう指導してくれた。


 夏には他にもいくつか心境の変化を起こす事柄もあって、勉強時間も徐々に伸びていった。 単純暗記よりも応用が多くなりはじめ、ぬいぐるみたちに授業と同じ要領で説明し、知識たちをくっつけていったりと策を凝らし、日々の課題をこなしていった。

 最後の模試は見事に数学20点台でE判定をマークしており、だれが見ても全落ちの再来を予感させそうなものであったが、夏と同じ向上の気配が自分には感じられていた。

 残りの一カ月は演習のみに専念したが、春からの学習の積み重ねのおかげで、この短期間で驚くほど得点率が向上し、センター前には8割は取れるようになっていたのである。


 本番は難化した生物でいつもより点を落としたものの、最後に追い込みをかけた数学で7割、英語や現代文に至っては9割取れ、センターリサーチはC判定。国立の受験資格が手に入った。

 筑波の社会論述は2時間で400字×4問の論述を書き上げるという相当な難度のものであったが、体系的な知識の入れ方によって得られた経験は大きな強みになり、 速読と多読で得た読解力は、筑波の長文問題中心の英語にも苦戦をさせないほどになっていた。

 試験は楽しく、緊張なしに受けられた。そして、無事合格。


V 最後に

 とにかく、困った時に一緒になって考えてくれる先生とはこれまでに出会わなかったので、この一年は大いに充実し、楽しいものだったように思う。 一人では越えられないものがありますが、GLS予備校には、自分の努力が正しい方向に正しい力で向いているかどうかを共に考えてくれる頼れる味方がいます。

 最後は自分の力で頑張るんです。でも、そんな味方がいてくれたらきっと成功はぐっと近くに来るハズです。少なくとも自分はそうでした。