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合格体験記 佐賀大学校医学部医学科 Nさん(西南学院高校)

<はじめに>

 私は中学2年生でGLS予備校に入塾しました。幼い頃から医師になることが夢だった私は中学1・2年生では大手の塾に通っていましたが、与えられたものをこなすだけで良いのかという思いがあり、親の勧めで入塾することになりました。


〜中学時代〜

 入塾前の私は、部活は週1の楽な部活、勉強は定期テストに命をかけてそれ以外はほぼ勉強しない、いわゆる定期だけはいいが実力テストになると点数が取れないタイプの生徒でした。 一応定期テストでは上位に常にいることができていたので、自分はこれで大丈夫でしょという思いもありました。

 しかし、入塾してからはまず先生から与えられる課題をこなしていくことが必要でした。それは定期テストのように1週間前に始めて間に合うようなものではありません。 私は週2で通っていたので、塾に行くたびに出される膨大な量の課題に内心「まじか、多すぎる、、」という思いでした。(先生の前では普通の顔していましたが、、、笑)

 でも私は与えられたものは最後までやりきらないと気が済まない性格だったので、頑張って課題をこなしていくようになりました。今考えるとここで自分のキャパに少し負荷をかけて勉強することで、自分なりの勉強を効率よくやる方法を見出すことが出来たのだと思います。


〜高校1年生〜

 高校生になると勉強しなくてはいけない量が格段に増えると言われていましたが、私はそれをあまり感じませんでした。それは中学時代の負荷をかける勉強によって、私が勉強を効率的にやる方法を確立していたからだと思います。 個人的には高校生になる前に自分の勉強法を見つけておけば高校生での勉強、そして大学受験においても大きなアドバンテージになるのではないかと思います。 実際、私は高校生になって実力テストの順位が大きく上がりました。自分の勉強法確立は大学受験において大きな武器になると思います。

 しかし、私には1つ直さなくてはならない点がありました。それは、与えられたものをこなすことはできるが、自分から動くことができない、自分の意見がない、ということでした。これは中学時代もよく原田先生に指摘されていたことです。 それが顕著に表れていたのは英検のライティングでした。テーマに対して自分の意見を英語で書けないという問題以前に自分の意見が思いつかない。これは医師になりたい理由を問われたときも同じでした。 自分は医師になってどうしたいのか、ということが考えられなかったのです。

 そのためか、高校生になってから塾で先生から課題を指定されることが減りました。逆に自分で次までにこれをやってくると決めるようになりました。 自分で自分の課題を決めることで、自分の意見や考えが少しずつ出てくるようになったと思います。


〜高校2年生〜

 私は高校で生徒会執行部に所属していました。高1の頃はそこまで大変ではなかったのですが、高2が部活内最高学年ということもあり、段々と部活が忙しくなってきました。 生徒会の活動は主にイベント運営です。私はイベントの委員長になっていたので自然と自分で考える力がそこで身についていったと思います。その代わりにイベント前の高2の冬はほとんど勉強できない期間がありました。

 私は一年後は受験なのにもっと勉強しなくて大丈夫なのかという思いもありましたが、原田先生が「あなたは先取りできてるから大丈夫」と言って宿題の量を減らしてもらったこともありました。 そして全力でイベント運営に力を注ぎ、無事に成功させることができました。高2の冬に勉強しなくても良いというわけでは決してありませんが、私の場合、自分に欠けていた自ら考える力をそこで身につけることができたと思います。


〜高校3年生〜

 生徒会をやめてから、本格的に私の受験勉強が始まりました。周りの医学部志望の人たちが高2で受験勉強を始めている中、私は遅いスタートでした。 しかし、先生の言葉通り先取りで数3などをやっていたお陰で、模試の成績はなんとか医学部志望者に食らいついている状況でした。

 高3の春に佐賀大学医学部の公募推薦を受けるということを決めました。もともと医学部に行きたい!という思いは強くありましたが、どこの大学に行きたいかを深く考えていませんでした。 しかし、佐賀大学のオープンキャンパスに参加した時、私がなりたい医師像である患者の身体だけでなく心を癒すことのできる医師の育成を目指していると聞いて、佐賀大学医学部に行きたいと思うようになりました。

 高3の夏、数学は数3しかしませんでした。公募推薦には2次試験がいらないとはいえ、2次試験を見据えた勉強を夏休みにしっかりとできたので、共通テスト後に焦ることなく2次試験の勉強をすることができました。 そして、夏休みから公募推薦の小論文の対策を始めました。具体的には小論文頻出のテーマのネタ本を読むことです。この早い時期からしっかりと対策できたおかげで小論文を書くこともそれほど苦労はしませんでした。


 秋になると模試が増えてきます。私は夏休みの勉強の成果が出たのか少しずつ偏差値が伸びていきました。 佐賀大学の公募推薦の小論文と面接の試験は11月にあります。10月あたりから毎日1つ小論文を書くようになりました。その分通常の勉強の時間が減っていき、試験直前の3日間は通常の勉強を止め、小論文と面接対策に全振りしました。 小論文本番は自分ができたのかできていないのかよく分かりませんでした。明確な答えが無いものなので合格を頂いてからあれで良かったのか、と思います。

 面接は正直全然自信がありませんでした。1人の面接官の反応が悪く、自分は嫌われたなと思いました。 なのでこれから医学部受験をされる方に面接のアドバイスしたいことは、面接本番は相手の反応が悪くても不安になる必要はないということです。 実際私は面接終了後、喋りすぎたかな、変なこと言っちゃったかも、とすごく不安になりました。しかし、その時間は無駄です。早く切り替えて共通テスト、2次試験の勉強に集中することが大事だと思います。

 11月あまり通常の勉強ができていないせいで12月の模試での成績が不安でしたが、模試でA判定を取ることができ、このまま上手くいけば合格できる!とモチベーションが上がっていたのを覚えています。


 私は12月から共通テストを意識した勉強を始めました。しかし、冬休みに入ってから共通テストの予想問題集で点数がどんどん取れなくなっていきました。 特に理科が顕著で、物理は安定して90点台だったのが70点台まで下がってしまいました。化学も70点台が続き、理科で稼いでいた点数が下がり、全体の点数も下がっていきました。 私は焦って共通テストの問題集を多くやるようになりました。しかし、点数は下がるばかりでこのままでは本番も取れないと焦りと不安が増していきました。

 その状態が年明けまで続いていた時、原田先生は1日他の教科を止めて、2次試験の対策に今まで使っていた問題集(良問の風、重要問題集)をやるように私に言いました。 共通テストが1週間前に迫る中、そんなことできるわけないとその時は思いました。しかし、今までを思い返してみると、共通テストの勉強を始めてから成績が下がっていったことに気付きました。 私は共通テスト1週間前に先生の言葉を信じ、2次の問題集を1日やり続けました。

 2次の問題集に戻って気づいたことは、共通テストの対策ばかり続けると、自分が思考しなくなっているということです。 11月までの自分の問題との向き合い方を思い出すことができ、そのまま共通テストの問題を解くと自然に点数が上がっていきました。 そして本番、物理は9割、化学は平均点から考えると上出来と言える点数を取ることができました。

 直前に先生のアドバイスがなければ、私は焦ったまま理科の点数を伸ばせずに本番を迎えていたと思います。あのとき先生の言葉を信じて本当に良かったです。


 共通テストから2次試験まで約1ヶ月間教科数が減り、自分の中で少し心の余裕ができてしまう期間です。 私は公募推薦もあったので、心のどこかで推薦で受かっているんじゃないか、という思いがあり、共通テスト後すぐは勉強に集中できない時期がありました。そこが受験生活で1番の反省だと思います。 そして、2月半ばに公募推薦で合格を頂き、私の受験生活は終わりました。


<最後に>

 私は公募推薦で医学部に合格しました。たまに有名大学に行くことを目標としている人がいますが、勉強だけをして高いレベルの大学に受かることが目標になってはいけないと思います。 私のなりたい将来像は人から頼られる医師になることでした。そのためには自分で考える力を身につけることができたというのは私の将来像に近づく大きな一歩だったと思います。 自分のなりたい将来像を明確に考え、そのために自分はどうするべきかを考えることが大切です。大学合格というのはその過程に過ぎません。今までの出会い全てに感謝しながら立派な医師になるためにこれからも努力を続けていきたいと思います。