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合格体験記 名古屋大学医学部医学科 K君(明善高校)

 合格体験記を書かせていただけるとは、夢にも思っていませんでした。ありがたく書かせていただきます。 自分の受験生活をまとめますので、 是非参考にしてみてください。

 では、まずはじめに今までの成績の推移を書いておこうと思います。かなり興味をもっていただける変遷だと思います。


〜成績まとめ〜

(高3)
第一回全統記述模試 偏差値53.4
第一回全統共テ模試 得点率 62.5%
第二回全統共テ模試 得点率 63.6%
第三回全統記述模試 偏差値58.7
第三回全統共テ模試 得点率 66.6%
冠模試 受けていない
共通テスト本試験 594点


(浪人1年目)
第一回全統記述模試 偏差値69.9
第一回全統共テ模試 得点率 82.4%
第二回全統記述模試 偏差値68.0
第二回全統共テ模試 得点率 82.2%
第三回全統記述模試 偏差値66.7
第三回全統共テ模試 得点率 80.1%
全統プレ共テ模試 得点率68.1%
河合塾九大オープン 医学科C判定
河合塾第二回名大オープン 医学科D判定
共通テスト本試験 702点


(浪人2年目)
第一回全統記述模試 偏差値71.6
第一回全統共テ模試 得点率 84.8%
第一回駿台全国模試 偏差値63.4
第二回全統共テ模試 得点率 88.1%
第一回駿台共テ模試 得点率87.2%
第二回駿台全国模試 偏差値60.0
全統プレ共テ模試 得点率78.3%
河合塾第一回名大オープン 医学科B判定
駿台名大実戦 医学科C判定
駿台九大実戦 医学科C判定
河合塾第二回名大オープン 医学科A判定!
共通テスト本試験 808点!

では、なぜこのように成績が変化したのかを、今までの受験生活を振り返って説明していきたいと思います。


〜今までの受験を振り返って〜

《現役》

 現役時代は、高校1年生の終盤から医学部に焦点を当てて河合塾マナビスに通い始めました。 この頃は自分の持つ課題を理解せず、 勉強する場を強制的に作ることを目的としていたため、どの講座を受けるべきか十分に考慮しきれず、チューターから勧められた講座を受動的に消費する日々でした。そのため、自分の努力が模試等の結果に反映されませんで した。その状態をうまく修正することもできず、というかする姿勢もなく受験を迎え、 共通テストも600点弱しか取れませんでした。 この時は「現役だから仕方がないか」という心境でした。 この考え方はかなりよくないと今改めて感じます。この甘さが浪人期の失敗に繋がってしまいました。


《 1浪目》

 河合塾に入校して、特に意味もなく「中堅国公立の医学部かっこいいなー」という思いから、熊本大学を第一志望としました。 浪人した初期の模試では、現役時代の貯金のおかげで偏差値が70近くになり、一気にのぼせ上がります。 最悪な状態です。「自分は現時点でかなり上にいて、このままいけば国立医学部合格は余裕だ」と勘違いしてしまいました。

 その結果、夏休み頃からどんどん塾をサボることが増えていきました。 「まだ大丈夫、まだ周りより上にいる」と勘違いし続け、 勉強量と質の両面で周りより大きく差をつけられることになりました。 そして、 秋頃から成績の低下が見られるようになりました。現役生が成績をぐんぐんと伸ばし、自分は効果的な勉強をできていないのだから当然の結果だと言えます。 それでも特に焦ることがありませんでした。これは自分の状況を全く分析してこなかったからだと思います。 自分がどれだけやばい状況にあるのか、自分の課題は何かを一切考えず、ただポジティブ (?)でいようと思っていました。

 そしてプレ共通テスト模試で7割を切るまで落ちぶれ、 それでも尚、「まだ1ヶ月あるし大丈夫だろ」と思っていました。 何が大丈夫なんでしょう。

 結果的に、共通テストは 700点程しかとれず、訳もわからず鹿大医学部を受け、更に鹿大の2次は簡単だと甘い考えをもったまま受験し余裕で落ちました。全くもって最低な1浪生でした。


《2浪目》

 1浪目で最低な受験生活をした私ですが、 親に金銭的な迷惑をかけたくないという理由で宅浪しようと思いました。 自分に甘く塾を当然のようにサボる自分が、 家で自分に鞭打って勉強出来るわけないと今では思います。 そして本当に宅浪しなくて良かったです。 親が宅浪に反対し、GLS予備校を勧めてくれなかっ たら今の自分は決してありえないでしょう。 受験のために浪人の道を選ぶならば、宅浪という選択肢は一番避けるべきだと、私は強く訴えます。


 では、 GLS予備校で過ごした1年間を振り返っていきます。 まず、通い始めで私は自分の受験への甘さ、勉強の雑さを痛感します。 原田先生に自分の知識の漏れの多さ、理解の浅さを度々指摘され、萎えそうになることもありました。 私は浪人までして、なぜここまで理解が不十分なのかと情けない思いでした。 ですが、 ここで気合いを入れて取り組むことが大きく成績を伸ばすことにつながりました。

 具体的には、物理・化学は教科書レベ ルの定義から理解し直す。 数学は、大学入試2次試験レベルの問題を答えを見ずに、考え抜く。 英語は、鉄壁を1からやり直し、語彙を徹底的に暗記。 国語は、読解に力を入れ、解答も根拠がわかるまで考え抜く。

 これらの訓練のおかげで、 最初の模試からかなり高い偏差値を取ることができました。逆にこれ以外やっていません。 そして、ここから次のレベルに行くために、早めに自分の志望する大学(防医、 慈恵会、 名大、阪大etc)の赤本を解いてみて、 自分の足りない部分を見つける作業をし、 実戦を意識していきます。さらに、公開会場で多くの模試を受けることで、自分で過去問を解くだけでは気づくことが出来ない、時間や緊張に対する課題を探します。

 私は模試をそこそこ多く受けたのですが、一回も満足した形で終わることはできませんでした。 つまり、受ける度に課題を発見し続けたのです。 受験生が模試を受けるメリットはやはり、課題を見つけられることにあります。 二浪目で、ある程度学力を持った私にとって、この受験期間でやるべきことは、これらの課題を見つけて潰すことだけでしたから、この過程を非常に大事にしていました。


 そして、 夏頃、やっと受けられる冠模試名大オープン。 今までの成果を出すことを意識し、受験をしました。 B判定を取って成長を感じることが出来た一方、それ以上に多くの課題を見つけ、悔しさがありました。 まだまだ成長できると思い、 課題点をまとめて更に勉強に励みました。 また、2次試験の勉強をしていると、自然と共通テストの問題は楽に感じるようになり、 700点代後半の得点は安定して取れるようになりました。

 そして、迎えた秋の模試ラッシュ。実力を出す訓練であることを意識し、 一回一回の模試を大事にしました。 課題を見つけたら、適宜メモを取り、 潰していく。 どんどん対応がうまくなり、 良い状態になっ て迎えた秋の名大オープン。 本番を意識し、合格するための対応が出来たので、A判定を取れました。 順調にきている、いけるぞ、という思いが高まり、更に勉強に打ち込むことができました(※しかし、 河合共テプレで は8割もとれませんでした。 いつも通りの対応が出来ないとヤバいと気づき、 気が引き締まりました)。 ここまで来ると、 あとはあっという間でした。

 気づいたら、2023年が終わり、 共テまであと2週間。 難関私大医学部(順天堂、国際医療福祉、自治医科)の対策で負荷をかけながら、暗記系を詰めていく。 気づいたら共テ本番で、 「後は運だ」という思いで試験に望みました。 「今まで経験してきたやらかしをしなかったので、十分な対応ができた」と感じながら、 家に帰り自己採点 しました。 予想以上に取れていて、 名大を受ける権利をもらえた気がしました。 しかし同時に、もし落ちたらという恐怖も感じ、 共テの配点が高い大学に出願するべきではないかとも思いました。 しかし、原田先生は私の性格と今までの成績を考慮した上で、名大への受験を勧めてくださいました。 自分一人ではなかなか出来ない決断だったと思います。


 受験校を決めた後は、 最後の追い込みに入ります。 私個人の意見ですが、 この期間の自分の精神のコントロールが一番難しいと思います。 あと少しで受験が終わることから生じる心の緩み。 共テの点数による緩み、あるいは焦り。 これらをいかに排除出来るかが重要です。 モチベーションを高めるために大学の紹介を見たり、気合いを入れるために先生に喝をいれてもらったりすることが効果的だと思います。 受験する直前に「もうやりきった」 「あとは楽しむくらいで行こう」と思えたら最高です。

 「あとは、 本番やりきるだけ」 今までたくさんのやらかしをしてきた私は、自分のことをよく分析していますから、本番は自分が最高に力を発揮できるイメージをもって受験することができました。 実際、 自分が難関大を受けられている状況に興奮を感じていたのを覚えています。 結果待ちの間はドキドキでしたが、手応えがあったので、落ちたら「周りが相当すごかったんだなと言うしかないな」と考えることにしていました。

 3月8日の午後3時、合格発表の時。 結果を見る前に家族から「おめでとう」の連絡がきて、自分でも確認しました。 今までの我慢が報われた気がしました。以上が私の受験生活でした。


〜最後に〜

 私は一浪目で地方医学部に落ちたとき、「自分は医師になる力がないのではないか」と本気で思い、医師になる夢を諦めかけていました。 ですが、 自分の将来を考えた時、医師として社会の役に立ちたいという意思を捨てることはできませんでした。 そして、私は「これで最後だ」と覚悟を決めて、勉強に取り組み続けました。

 もし自分がやりたいことやその大学に行きたい理由が明確にないまま受験に望もうとするならば、 どうしても受験勉強がつらいものになります。 そして、 行くと決めたら覚悟をもって受験勉強に身を捧げる必要があります。

 私は浪人し、 同級生が楽しそうに大学に通っている話を聞いたり、 SNSで見たりして心がぐーっとくることもありました。 ですが、 自分の将来のため我慢はしなければなりません。受験後、やりきったと思えれば、それは受験成功であり、これからの人生へと進んでいけます。 きついときは、支えてくれる人に頼ることも大事です。 私はその人たちが、原田先生であり、両親でした。 受験の話じゃなく、何気ない話をするだけで、気分は解れました。 支えてくれた方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。 本当にありがとうございました!