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合格体験記 近畿大学医学部医学科 Yさん(金城学院高校)

 GLS予備校に出会ったのは、3浪目の9月。 約半年間という短い間でしたが、GLSとの出会いがなければ、永遠に勉強法を模索し、医学部の合格もなく廃人になっていたと思っています。 遠回りをしましたが、最終的に医学部合格できたその軌跡を綴っていきたいと思います。


 私が医学部を志すようになったのは、中学3年のときです。 中学3年のころから、高校1年になったら医学部や理系に強いと聞いていた駿台に通うことを決めていました。 しかし、いざ高校にあがり、駿台に入るものの、授業についていけず数か月ほどでやめてしまいました。

 駿台をやめた後は個別指導の塾に入り、名大医学部生からの指導のもと受験勉強をしていました。 しかし、現役のころは、学校の勉強と受験勉強とのバランスがとれず、あまり学力が伸びず、地元の私立医学部2校のみ受験し、落ちて浪人することになりました。


 1浪目は、大阪府にある塾で勉強をしました。その塾は独自の勉強法を売りにしており、かなり厳しく指導を受けました。 講師との相性が合わず、叱られてはよく泣いていました。朝8時から夜23時まで塾に缶詰めになり、途中、塾を抜け出し家に帰ってしまうことまでありました。 講師の質にも自身の学力にも結局不満を抱えたまま、私大8校ほど受験し愛知医科大学の2次補欠のみもらい2浪が決まりました。


 2浪目は、1浪目の反省を生かし、比較的自由度のある地元の医系予備校に通いました。 個別指導で講師変更も可能なので、1浪目に比べてストレスなく勉強に取り組むことができました。 また、医系予備校なので、医学部の情報もたくさん得ることができ、2浪目ではじめて医学部合格に必要な全体像を知ることができました。 各大学の対策も講師の分析のもと、ピンポイントで学習することができました。

 しかし、結果は愛知医科を再び2次補欠、福岡大学1次通過、大阪医科大学補欠となり、3浪が決まりました。


 3浪目は2浪目のときの解答速報の広告に影響されて東京の医系予備校に通いました。 毎日朝から夕方まで集団授業があり、日々の予習復習という目の前をこなすだけの勉強になっていました。 一部の講師の授業には満足していましたが、反復練習を重視していた私にこのスタイルは合わず、夏期講習の8月まで授業は出て辞めました。


 8月にたくさんの予備校の中からGLS予備校のホームページを発見し、9月からGLSに入塾することになりました。 私は、はじめのうちは、勉強方法の見直しが必要と考えていたため、勉強法の研究にかなり時間を浪費してしまいました。

 GLSに入って軌道に乗り始めたのは、過去問を解くようになってからです。 自分の相性に合わせ、受験校を先生と相談して決め、過去問を解き、その補強を参考書でするというやり方で主に勉強を進めていきました。

 また、GLSに入って初めて、自分で過去問研究をしました。 受験校を傾向別に分類し、優先順位を決めて、各大学の対策をしました。 そして、直前期には、あまり先生に頼ることなく、自分で計画を立てて勉強に取り組むことができました。 先生に導かれるまま、自然とこなしていたので、不思議な感覚ですが、今年はいけるかもしれないと初めて自分に自信をもつことができました。


 受験当日は、初日の大学を除き、比較的緊張することなく試験に挑むことができました。 また、他大学での自分の弱点の補強が次の大学の試験で役立つことがあったため、受験を重ねるごとに力がついていく感覚も味わえました。

 結果は、兵庫医科2次補欠(後に繰り上げ合格)、近畿大学正規合格、福岡大学2次棄権という形になりました。 気持ちに波があり、十分な勉強時間を確保出来ないまま入試に突入してしまったため、残念ながら失敗してしまった大学もあります。 私大入試では滑り止めと位置付けた大学でも、私は1次落ちだったので、単純に模試の偏差値で結果は予測ができないと思っています。 その点は、医学部受験者に実感してほしいと思っています。


 原田先生にもっと早い時期に出会っていたらという気持ちがありますが、医学部合格を勝ち取れたことにはとても満足しています。 また、目的を見失わない重要性も先生との出会いで実感しました。 遠回りでも、その過程をどのように次に生かすかということを同じ受験生にも考えてほしいと思います。


 最後に、自称、塾や講師のクレーマーの私を上手く合格まで導いてくださった先生に感謝の気持ちを改めて伝えたいと思います。 本当にありがとうございました。